苟のおしゃべり

私が考えた事を好き勝手に話します

自分が感じること

皆さんこんにちは!

苟(まこと)です。

ご訪問ありがとうございます。

 

暑い日が続いていますが、数年前、同じ気温でもこんなに暑かったかしら?と思う日々です。もしかして、暑さが増したというよりは、寒さが強くなったからこそギャップで暑く感じるのか…やっぱり寒冷化というのはあるのかな〜?と感じます。

気候に関しては世間がどう言ってるか、という事も無視できないのは確かですが、ただみんなが言っているからと言うことだけではなく自分が感じる事も大事ですよね。

 

と、いうことで今日はそんな話題です。

 

最近では科学的に証明された事もあり有名になりつつありますが、皆さんは生まれ変わりについてどのくらい信じていらっしゃるでしょうか?

仏教では輪廻転生ともいいますよね。

というか、そもそも信じていらっしゃらない方もいらっしゃるとは思います。

当たり前ですよね。誰も死んで試す事は出来ませんから笑

 

私は中学生くらいの時から、ずっと、なんと表現して良いかはわからなかったのですが、この世の果てまで行けば皆んな繋がっているというか、そういう皆んなが繋がる大元のような存在があるんじゃないかなあと感じることがありました。

 

死んだら記憶はどこへ行って、命はどこへ行くのか?

 

と言うことを考えられたことがある方はきっと多いと思いますが、私もそんな考えの中で、命は環のように連なって、皆の感情や記憶や魂というか精神というのは一つの場所に繋がっているように感じていたんです。

 

14歳の時に私はある人と出会いました。Twitterを拝見してくださっている方はわかるかと思いますが、私の尊敬している方です。

 

その方は前世を見ること通して今の精神的な問題を解決するという方法を使われていて(いわゆる一種の、催眠療法ですね)私は当時、そういう経験を通して、また、生まれ変わりの話についての本を読んだり、その方から他の方についてのお話を聞いたりして、転生について信じるようになりました。

 

そして、その方は同時に神の存在についても信じていらっしゃったのですが、私はそこで、少し疑問、というか違和感を抱くようになったんです。

 

神は居ない、とまでは言わないのですが、私の中で神、天使、人間というのは…まるで魂の序列のように感じたんです。

神は絶対的で人間を罰したり戒律を決めたり、善悪を決め、常に監視している。という点で、今の支配層と何も変わらないように感じたと言うか。

ただ支配層が、神と自分の姿を近づけて刷り込んで、自分たちの行いを正当化しているように感じてしまったんです。

 

ですがその当時は、その方を深く信じていたので、盲目的になっていた部分もあり、神の存在を私も信じました。

けれど、やっぱり、自分が心で感じた事というのはどこかで引っかっていたみたいで、その方と意見の相違が少し起こるたびに、自分の感じた違和感を思い出しては悩んでいました。

 

 

それから、時間が経って確か18歳になりたての時でした。

自分が感じていた事を、全く同じように書いている本に出会ったんです。

 

その本では命を含むエネルギーには大元の存在があり、輪廻転生はあるが、前世というよりは魂の大きなエネルギー体から必要な記憶を取って生まれてくるだけ(=結果的にそれが前世という風に言われる事もある)であって、

 

ある人が生まれ変わって、自分になる

(例:新撰組の〇〇の生まれ変わり的な)

というより、

みんなの記憶は同じ一つの場所(大元)に還って、そこから今世生きる為に必要な記憶をそこから得て生まれてくる、という感じに書かれていたんです。誰の彼のというよりは、記憶は大海の一滴というニュアンスなのでしょうか。

 

あと、簡潔にいうと神はいないと……笑笑

(言い方アレですけど)

 

それを読んだときに、私はとてもスッキリしたんです。

要するに「やっぱりね!」と納得したというか…。

あっという間に、その方から教わっていたことの中で違和感を抱きつつ信じていた事が心から抜けたような気分でした。

 

なので、やっぱり、自分の感じる事というのはとても大事なのだと思います。

いくら、すごい人があらゆる根拠を並べて言っていても、自分が違和感を抱いている事を無理に信じる必要はないのかな〜と。

 

もしそれで何かしら間違った方向へ進んでしまっても、それは自分の人生において必要な経験必要な回り道であって、本当に進むべき道があるなら恐らくどこかで壁にぶち当たって戻ってくるはずなので…。たぶん。笑

 

私もまだ十九年ちょっとしか生きていないので、全然分からないのですが、

自分より経験があって、尊敬できる方が口を揃えて言っていたとしても、すごく立派な本や研究があったとしても、自分にとって違うものは違うと思って良いのかなと思います。

怖気付く必要は少しもないのだと。

『私はこう思う』ということについて遠慮をする必要は少しもないというか。

 

私は結構(昔からの刷り込みの副作用なのでしょうか?)『目上の方』という存在に弱くて、

目上の方が仰る事を『間違っている』と、なかなか堂々と思えないんです。

自分自身の未熟さを理解しているので、青二才の自分の考えで否定していいんだろうか?と心の中でまで言い訳してしまうくらい…笑

でも、同時に譲れないものは譲れない性格でもあるみたいで………。

割と難儀な性格なのですが、よく考えてみると、そういう矛盾を抱く必要も本当はない気もするんです。

 

私のこの矛盾の根底にはつまり、

(簡単に言うと)

 

目上の人の考え=正しい

 

という刷り込みがあるわけですが、この考えは年功序列を正当化する為の方便という側面もきっとあると思います。

 

年功序列とは、つまり年齢という概念をピラミッド型の構造として捉える考え方ですよね。

現代だと、思考停止になっても年齢を理由にそれを正当化できる、格好の言い訳に成り下がっている気もしますが。

 

ではそもそも、年齢の意味とはなんでしょうか?

 

年齢を重ねる=成熟

ではないことは皆さんもよくよく、とてもとてもわかっていらっしゃると思います。

 

つまり、年齢を理由に物を言うというのは、

ある程度年齢を重ねたのに精神的には子供時からほとんど成長しておらず、自分の常識に固執し続けたいという人や、

思考停止のまま生き続け自分の中に誇るべき点が一つも無い人が、自分を正当化しようとした、浅知恵から生まれた産物と言っても過言ではないんじゃないでしょうか。(少し言い方が良くなくてすみません)

 

つまり、年齢は一つの基準であって、それ以上でも以下でもないように思えます。

そうでは無いのかもしれませんが。

(若い頃というのはこういう風に、どうでもいい事に噛みつきたくなるんですかね…笑)

 

しかし、こうして細かく噛み砕いて整理してみると、小さな刷り込みがこうして自分の価値観を変える大きな判断にまで影響しているという事を感じます。

 

なので、やっぱり、自分の軸を持ち、他人にその軸を揺るがされない、というか他人に左右されない為には、自分の感じる事を大切にしていくことはとても大切なのだと思います。

 

最近特に、そう感じることが多くて、色んな方とお話しすると益々、その思いが深くなります。

体や、思想は支配することができますが、感じることは支配されません。誰も他人の感覚を支配することはできないと思うんです。

感覚の大切さをみんながもっと理解して、そんな真実の感覚の中から少しずつ本来の自分、本来の感情、思考のかけらを少しずつ集めてゆけばいずれもっと多くの人が本来の自分を知り、生きやすい生き方を見つけて、良い社会ができていくのではないかな〜と思います。

 

そうなったらいいな╰(*´︶`*)╯

 

では今回はこの辺で〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

グループについて

こんにちは苟です。

 

先日、グループについてTwitterで呟いていたら少し反応を頂いたので、私が考えるグループ像について書いてみたいと思います。

 

https://twitter.com/o_makoto_nekoai/status/1518148852515471360?s=21&t=zjhhTxYjfrhtUph1Uhze_g

 

(なんのこと?となった方向けに一応発端のツイートを貼っておきますね)

 

簡潔に言いますと、このツイートにもあるように最近グループを作りたいなーと思いまして、

 

多くの方のキャンプションやツイートを拝見していると、特に同世代の方は「同世代の人と繋がりたい!」と思われてる方が多いようなので、私もその一環でグループあったらいいよなあと呟いてみたのですが、皆さんのご意見も頂戴したくブログでまずは私の考えを書いてみることにしました。

 

まずどういう方針でいきたいかと言うと、

簡単な条件としては

①年齢は出来れば15歳〜29歳くらいまでの方

②ある程度私と価値観が同じ(未の方)で、

グループの方針に共感できる方。

③抵抗運動に参加されてない方

 

です。

ここで③についてなのですが、

なぜこの条件をつけるのかという事をTwitterでは書いてなかったのでお話しします。

 

まず抵抗運動をすると、色んな例がありますがやはりリスクも大きく、本人がしていないのにグループがきっかけで徒党を組んでいるとみなされたり、連座のような形で危険な目に遭うという事になってしまうとトラブルになりかねないという懸念があります。

 

それから、

私自身が抵抗運動(いわゆるデモとかですね)に対して精神的な面でも現実的な面でもこの世界を変えるための上策だと思えない部分があり、消極的に捉えているので、その事をご理解した上で参加していただきたく、できればそういった考えに近い方同士の方が結局はお互いに楽かなとも思いますので、③についてはそんなふうに考えていただけたらいいなと思います。

 

 

さて、

グループの目的と雰囲気ですが、

個人的には、基本みんなが楽しく快く、ゆったり話せて、なおかつ、お互い必要以上に干渉し合わないという感じにできたらいいなー、と思っています。 
皆さん、それぞれの時間でそれぞれの人生を生きてるので。好きな時に入って、好きな時に出るというか。

 

 大人数の中でお互い距離を詰めすぎると逆に負担になりかねないと思いますし、深めたいなら個人同士でやった方がトラブルも少なく色んな意味で効率的かな〜と感じていますので。

 

グループがきっかけで出会って、個人で仲良くするのはいいと思いますけどね(^∇^)

 

そして、目的としては『勉強』と『雑談』です。

勉強というのはあくまでテーマ的な意味ですが、

例えば私が

「今週は東洋医学の〇〇について考えてるので、興味がある方とか詳しい方居たら一緒に話しましょう」

と声をかけて、それで来たかったら来て話して、来たくなければ無視で大丈夫。って感じです。

西洋医学しか詳しくないよ!って方でも、興味があって、思うことがあれば「西洋医学ではこんなふうに考えてるけど〜」と言ったらまた話が広がりますよね。

 

みんな、持っている知識の差(量にしろ領域にしろ)はあると思いますし、

認識の差、理解の差、価値観の差、

(この言い方はあまり好きではないのですが)いわゆる目覚め度合いの差、などたくさんの差があると思います。

 

でもそれは当たり前です。

立場が違えば、知ることができることも違います。

だからこそ、それを逆に利用して行けたらいいなと思うんです。

 

 世の中は思っているよりも広く、知るべきことや学ぶべきことはあまりにも多いです。

 私も勉強していて、それだけしていればいいなら良いですが、例えば働いたり自分のしなければならない事をやっているうちに時間がなくなり、時間が足りない!と思うことは多々あります。

 

とにもかくにも、

世の中は学ぶべきことが多すぎます。

(多いというか、教えてもらうべきことを教えてもらえなさすぎているのかもしれませんけど笑)

 

なんだかんだ人類の歴史は長いし、相手が使ってくる手札も多いし、

やっぱり一人の力では限界があると思うんです。

一つの事を大成するのにだって、一生かかっても不思議じゃないのに、たくさんのことを知らないと乗り切れない世の中に生まれてきてしまったので。

 

仲間だな、と思ってる人に聞けたら変な説明もいらないし、なんか一般人フェイクみたいなのもいらないし笑笑

他人に対する最低限のマナーと思いやりさえ守るなら、必要のない気を遣う必要もないので、

楽ですよね!

 

本の海、ネットの海、Twitterの海から色々調べて探さなくてもいい物が増えるかもしれないし笑笑

ついでにメル友ならぬ、勉強友ができるみたいな感じで。

 

私自身、暴力的なこととか医療的な映像とか見れないタイプの人なんですけど、知る為に我慢して見ることがあるんです。

あと、医療だと基礎知識が足りなくて理解できないことも多いですし。でも、私は無理な映像でもそれが大丈夫な人が見て、教えてあげられる部分を教えてあげればいいですし、知識が足りないならソースやおすすめの本を教えてあげたりして助けてあげたらその人は助かりますよね。

 

仲間は友達とは違うので、必要以上に仲良くなる必要はないです。ある意味、寂しいから話したいとか、勉強したいから教えてほしいとか目的のために一緒に居るだけなので。

 

どうして同世代の人と繋がりたいのか?

繋がってどうしたいのか?

 

という質問にすら、

 

未来でこの国を再生していきたいから。

未来のために今から価値観の合う人とつながっておきたいから。

なんとなく孤独で寂しいから。

一人でいると自分が揺らぐから。

 

いっぱい理由があると思います。

だから、

目的ある繋がりである『仲間』になりたいです。

ジャンプとかでも、敵を倒したら割と解散するじゃないですか。あと方針違う仲間が抜けたり、別のグループに入ったり。

目的もなくただ馴れ合うと、「もう次に行きたいな」「なんか違うな」と思った時抜けにくいので。

私はさっぱり行きたいです。

 

馴れ合って慰め合うのではなく、

 

この世の中を乗り越えるための武器を身につける為に一緒に勉強して、お互いに誰にも奪われないものを与え合える場所を作る。 

 

…ま、で、は行かなくてもいいんですけど…笑、その練習というか演習程度なら可能かなと思います。

 

雑談しましょーとなったら、楽しかったこと、悔しかったことを少し吐き出すことができる場所でもあっていいと思います。

ただ、お互いにマイナスの方に引っ張り合わないこと。

マイナスの方向に引っ張ることは、

目のついた闇の三角コーンに所属しているようなあの人たちの専売特許なので、

どんなことがあるにしろ、

きつかったけど、こう思った。

悔しかったけど、こういう事に気が付けた。

という風に話して行けたら、より良いかなと思います。

あくまで友達ではなく仲間を目指してるので、愚痴大会(なるとは思いますけどね笑)ではなく、

自分の体験を共有することで、他の人が同じ事や似たことに出会った時に思い出して対処できるようにする、という方向を向いていただけるとありがたいかなと思います。

 

 

もちろん実際問題、難しい部分も多くあるとは思います。でも、そんなに多くない人数で、

私的には守秘義務(そこで話した事や人のことをTwitterやその他SNSでわかるように書かない)や

紹介制(グループに入ってる人の紹介のみで基本的に入る)という感じにすれば、少しはトラブルが減らせるかな〜とか思ってるんですけど、どうでしょう………。

 

こういうことやったことない人なので、

詳しくなくてごめんなさい。

 

さて、大変お待たせ致しました

具体的な形ですが、

 

今考えてるのは

 

①LINEを使った方法。

簡単ですね。

グループメンバーでTwitterのDMとかでLINE交換して誰かしらが招待してLINEグループ作る。

さっきのテーマを決めて話すとしたら、アナウンスなどの機能を使ってグループ通話する。

ノートを使って質問をする。

トークで雑談。

 

→ただ、LINEが少しプライベート的な要素が強いSNSだと思いますので、プライバシー的リスクが高いかなと思います。

 

 

Twitterの鍵垢とスペースを利用。

あらかじめ、私が知ってる方にお声がけして、

例えば私がTwitterの鍵アカウントを作って、そこにフォロワーさんという形でメンバーが入って、スペースでしゃべるという感じです。

承認制なので紹介制は成り立ちますよね。

 どうも、鍵垢では本来スペースが開けないそうなのですが、鍵を一瞬外してスペースを開きまたかけるという手順を踏めば鍵垢ホストが爆誕するそうなので、それを使えばやれないこともないかなと。

 

③BANDアプリを使う。

コミュニティアプリです。

私も詳しくないのですが、リンクを送って参加する感じで、工夫するとすごくシークレットな感じに出来そうです(語彙力)

 

メンバーのLINEのタイムラインみたいな感じでの投稿も可能そうなので、質問を投げておいてみんながそこにコメントするということも出来そうですし、

あと、チャットや通話もあるので話すことも出来るかと思います。

 

他の方法があれば教えていただけたら助かります。

 

思いつきで話してみたので、本当にビジョンが曖昧というか小さくてすみません…………。

私自身、「こういうのが将来的にあったらいいな〜。例えば私がやるとしたら…」くらいのテンションで言ったやつなので、

実際、私がホストじゃなくても全然良いんです。

 

誰かが私の案を参考にグループ(コミュニティ)を作りたい!と思ったら、ぜひやってもらって大丈夫です。そしたら私も入りたいですけど…。笑

個人的なことを言いますと、今年は身を慎む年にしようと思ってるので、私が主催でやるとしても慎重にやると思います。

 

まあでも一応、呟いたからにはしっかり責任とって書こう!と思いまして笑、

今回こんな感じで(謎の責任感?で)書いてみました。

 

皆さんのご意見というか、ご指摘やアドバイス等々ありましたら本当にぜひにTwitterのコメント欄なり、ここのコメント欄なりに書いていただけるとありがたいです。

 

それでは

 

 

わたしの名前のこと

皆さんこんにちは

ご訪問ありがとうございます。

苟です。

 

 

前回はなんとなく話のキリが良かったので終わったのですが、今回はその続きで、名前の由来というか、どちらかというと名前の由来になった文についてになってしまうのですが…笑

紹介してみようかなと思います(*´꒳`*)

 

 

私の名前「苟」(まこと)の由来はTwitterのアカウント名を決めようとした時、ふと中国の古典である『大学』という書の一節である

「苟に日に新たに、日々新たに、又日に新たなり」という文が思い浮かんだ為、その一文字目をとって、苟にすることにしました。

 

私は結構(今の国としてはさておき)中国の古典や文化は好きなので、ブログでも古典などから考えた事を紹介するかもしれません。

 

 

この文は『大学』〔伝二章〕にあり、正確には

「湯(トウ)の盤の銘に曰く、苟に日に新たに、日々新たに、又日に新たなりと。…」という文の一節です。

せっかくですので簡単にこの文についてわかる範囲でご説明してみたいと思います!

 

古代、殷(イン)という王朝の王様に湯王(トウおう)という人が居ました。

その人が自分の洗面器に刻んでいた言葉が、「苟に日に新た、日々新た、又日に新たなりと」というものだそうです。

これはどういう意味かというと、

「誠に日に新たにして、その身体の垢を除き去るごとく、その心をも洗い清めて旧来の悪習を除きて自ら新たにし、一度のみならず、日々にこれを新たにし、なおも又日に新たにしなければならない。」(『大学』/宇野哲人全訳註より)

ということだそうです。

日に新たに!を三度繰り返すことで、丁寧に伝え、少しも油断してはいけないのだという事を強調をしているんですね。

悪習に囚われず(一つの考えに固執せず)日々油断せず考え、気がつき新たな自分になる事で、周りの人の(この文においては民とも言えますが)良きお手本になるべきだ、という事なのかなと思います。

 

そして『苟』という漢字に注目してみると、

苟は、主に苟且=かりそめという意味で不意に、一時的に、という意味もあり、謙遜の意味でいやしくも、という使い方もするようです。

ちなみに中国語では、適当に〜する、という意味もあるのだとか笑

それに「まこと」という音は真実の真(まこと)にも通じますよね。

こんな風に文だけでなく、漢字一つとっても(私が知る限りで)こんなにたくさん意味や解釈があって面白いなあと思います。

 

アルファベットやその他の文字にも、ストーリーはあると思いますが、漢字って面白いですよね。今書いていて、漢字についての事も書いてみたいな〜と思いました。笑

なんかほんと自由ですみません笑

 

 

この『大学』は四書五経の一つであり、元は『礼記』という五経から派生した書物なのですが、私からすると正直、儒学ってピラミッド社会生成機(アジア版)という風に感じるので、勉強しつつも共感できない部分も多いんです。

しかしながら、今世界を牛耳る人たちはおそらく多くがこのような書に触れています。

それはなぜかと言うとこういう書物の主題というのは簡単に言うと、いかに上手く人を支配するか、という事が書かれているからです。

もちろん内容的に現代に合わないところ、国風に合わないところなどあるので取捨選択はしていると思いますが、その人たちの思考のストック(引き出し)の一つには恐らくあるんじゃないかなあと。

ということで私はもちろん自分がただ興味があると言う部分はありますが、もう一つの側面として、相手の出方を知る、相手の思考回路を知る為、

いわゆる

『彼を知り己を知れば百戦して殆うからず』(孫子より)

の精神でこういう書物を勉強しています。

 

が、こういうのってなかなか良いこと言ってたり、人を慈しむやら己を修めるやら美辞麗句も多いんですよね。

そう言うのを見るたびに

「すごくいい言葉!こうなったらいいのに!」

と思ってガッカリしています。

そんな言葉を学んで、教育を受けた人が今の支配層なんですから。

 

けれど、あとあとその美辞麗句も裏を返せばそんなに幸せじゃなかったり、逆に良くないと言うことに気がつく事もあります。

だから、納得できる時もあるんですよね。『結局はこの根っこにはこういう精神(支配的)や前提(差別)があるんだな』と。

 

なので世の中、素晴らしいとされる事や言葉や人ほど実際はそうじゃないんだろうなと。

残念ですね〜笑

 

でも皆さん結構、そういうことには気が付かれてるんじゃないでしょうか?

そんなことに気がつかなければ、お花畑で幸せでいられますけど、一度気がつくと芋づる式に気がつくから嫌になるんですよね。

 

最近までは、あ、これもつまりこうだ、あの人もああだ、と嫌になっていたのですが、私は今になって逆にすごく良い気もしていて。

 

偉人や偉業が無くなる事は必ずしも悪いことばかりでは無いと思うんです。 

 

素晴らしさにロールモデルはいらないと思いませんか?

誰か一人を尊敬するより、誰もが自分を尊敬し、大切にできる社会を作る方がよっぽど良いんじゃないかな、と。

 

それに、私の中で偉人は銅像みたいなもので、

当たっている光が大きい人は、その分本当はその後ろにある影も大きくて暗くて、当たる光の少ない人ほど実は人が休める日陰くらいの影なのかもしれないな〜とも感じます。

 

でも、普通にというかある程度で生まれてくると15年間学校に行って、そこでたくさんたくさん刷り込まれるので、間違った慣習だろうが、良い文化だろうが、良い悪人だろうが悪い偉人だろうが一緒くたになってしまって、簡単に心から洗い流すというのは難しいですよね。

 

いっそ、心が物理的に洗えたら良いんですけどね…( ̄▽ ̄) 

少し話は逸れますが、この『苟に日に新たに〜』の銘が刻まれた洗面器を使ったらなんとなくそういう気分になれそうですよね。誰かがもし、作ったら面白いですね笑

商品の説明欄には「殷の湯王と同じ気分になりたい方向け」って書いてあるんでしょうか…笑

 

 

さ、ということで、話がものすごく逸れてしまったのですが、どうだったでしょうか?

他人のユーザーネームの由来とかどうでもいいよ!という方も、勿論沢山いらっしゃるかとは思いますが、笑

少しでも、面白いなと思ってもらえたら嬉しいです(*≧∀≦*)

 

せっかく世の中への違和感を感じられたのですから、心に付いた固定概念やら常識やら間違った歴史はぜーんぶ洗い清めて、苟に日に新たに、日々新たに、又日に新たに、自分からまずは余計な刷り込みを洗い流していきたいものですね。

 

ここまで長々と、取り留めもない文を読んでいただきありがとうございました!

またもしよろしければ、是非遊びに来てくださいね╰(*´︶`*)╯

それでは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしのこと

はじめましての方も、そうでない方も

こんにちは

ご訪問ありがとうございます。

 

今回は2度目の投稿ということで、

何を書くか迷ったのですが、せっかくなので

簡単に私の自己紹介をしようかな、と思います。

 

色々と配慮せず書くつもりなので、もし、ご不快に思われる事がありましたら速やかに閉じていただけるとありがたいです。

 

それでは、改めまして、

「苟」と書いて、「まこと」と申します。

今年19歳になる普通の日本人です。 

 

価値観の違う方などから手厳しい当たりを受けると悲しいので、わかる人にはわかる二割という風に表記しています。

ご理解のある方が多いと思いますが、一応、この二割は非の方ですと言う意味です。笑

わかりますよね!

その他も、だいたいの論争で、少数派に入る方に居ると思います。

今は、言論統制もすごいので、色々書くのもリスキーかなと思いますので具体的な話はこの辺に…。

ひっちゃかめっちゃかな世の中ですね( ̄▽ ̄)

 

元々Twitterで呟いていたのですが、長くなってしまう事も多かったので、思い切ってブログにまとめて書くことにしました。

 

私は、これからの時代を生き抜く為にはなんとなく仲間が必要だな、と考えていて

(一人で居るとやっぱり、迷ったり悩む事も多いので)特に同世代の方で同じ考えだよ!と言う方がいらっしゃったらいいな、と思っています。

情報共有だけでなく、何かをするときに助け合えたり、一人では出来ないことをやったり、また、私たちの世代、そしてこれから生まれてくる次の世代の人たちの為に何が出来るのかという事を一緒に考えられる方々がいらっしゃったら嬉しいです。

 

リアルでというか、身近でそういう方に出会えたら良いんですけど皆さんよくお分かりの通りなかなか出会えないんですよね……笑笑

 

 

本当に思いつきで書いていくので、まとまりがなかったりオチがなかったりしてしまうと思いますが、

皆様の海のように広いお心を信じ、皆さんをお友達と思って(笑)、友達と好きにおしゃべりしている、くらいの雰囲気で、ゆるく書いていけたらいいなと思っています(*≧∀≦*)

 

本当になんの因果かこんなとんでもない時代に生まれてきてしまって、ため息をつきたくなることもありますが、こんな時代に生まれてきたからこそ気がつけたことも、考えられたこともきっと多いはずですし、こんな時代に生まれてきたからこそ持てる幸せというのを見つけて行けたらいいなと思います。

 

現実的な論争に関しては、情報収集はもちろん必要だと思いますので、しますし、考えたりお話しする事もあるかとは思いますが、私はどちらかと言うと精神的なことや、少しぶっ飛んだ考え方の方が好きなのでそちらの方向のお話が多いと思います。

(というか、現実的な問題から精神的な問題に結びつけて考えるのが好きなので、そういうスタイルになると思います。)

 

先に免罪符を作るのですが、情報や解釈で間違いがある時もありますのでその時は優しく訂正等していただくか、スルーしていただけると助かりますm(__)m

 

せっかくの自己紹介なので苟という名前の由来なども(面白いと思うので)紹介したかったのですが、思ったより長くなりそうなので次回にしたいと思います。

 

ここまで読んでくださった方ありがとうございました!

こんな感じでいいよ、という方はまた次回もよろしくお願いします!

それでは!

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめまして

 

皆さんはじめまして。

『苟』と書いて『まこと』と申します!

Twitterで繋がってくださっている方は二度目まして、こんにちは(^∇^)

 

このブログでは、私が世の中に対して違和感を感じたことや、日々日常考えた事、気がついた事など雑多に書いてゆけたらいいなと思っております!

 

Twitterだとやはり簡潔にしないと、という事を気にしてしまい、思った事を書ききれない事があったので思い切ってブログを始めてみることにしました。

 

主にTwitterは情報収集をメインとして、ついでに同年代の同じ価値観の人を探してみようと思い作ったアカウントですので、結構考え方や情報が偏っているかもしれないとは思います笑

 

Twitterの固定ツイートなどにも書いておりますが、あくまで私の価値観に基づいているので、もし、私と考え方が違うな、と感じることがありましたら速やかにブログを閉じていただけると有難いです。お互いの生き方を尊重し合う為、自衛をお願いできればと思います。

 

今回はとりあえずお試し投稿ですので、この辺で。

 

ブログに対する感想などございましたら、ここのコメント欄だけでなくTwitterのリプやDMなどに書いてくださっても大丈夫です(*´ω`*) 

 

Twitterの方も始めたばかりなので気軽に声をかけてくださると嬉しいです。

 

それでは