苟のおしゃべり

私が考えた事を好き勝手に話します

わたしの名前のこと

皆さんこんにちは

ご訪問ありがとうございます。

苟です。

 

 

前回はなんとなく話のキリが良かったので終わったのですが、今回はその続きで、名前の由来というか、どちらかというと名前の由来になった文についてになってしまうのですが…笑

紹介してみようかなと思います(*´꒳`*)

 

 

私の名前「苟」(まこと)の由来はTwitterのアカウント名を決めようとした時、ふと中国の古典である『大学』という書の一節である

「苟に日に新たに、日々新たに、又日に新たなり」という文が思い浮かんだ為、その一文字目をとって、苟にすることにしました。

 

私は結構(今の国としてはさておき)中国の古典や文化は好きなので、ブログでも古典などから考えた事を紹介するかもしれません。

 

 

この文は『大学』〔伝二章〕にあり、正確には

「湯(トウ)の盤の銘に曰く、苟に日に新たに、日々新たに、又日に新たなりと。…」という文の一節です。

せっかくですので簡単にこの文についてわかる範囲でご説明してみたいと思います!

 

古代、殷(イン)という王朝の王様に湯王(トウおう)という人が居ました。

その人が自分の洗面器に刻んでいた言葉が、「苟に日に新た、日々新た、又日に新たなりと」というものだそうです。

これはどういう意味かというと、

「誠に日に新たにして、その身体の垢を除き去るごとく、その心をも洗い清めて旧来の悪習を除きて自ら新たにし、一度のみならず、日々にこれを新たにし、なおも又日に新たにしなければならない。」(『大学』/宇野哲人全訳註より)

ということだそうです。

日に新たに!を三度繰り返すことで、丁寧に伝え、少しも油断してはいけないのだという事を強調をしているんですね。

悪習に囚われず(一つの考えに固執せず)日々油断せず考え、気がつき新たな自分になる事で、周りの人の(この文においては民とも言えますが)良きお手本になるべきだ、という事なのかなと思います。

 

そして『苟』という漢字に注目してみると、

苟は、主に苟且=かりそめという意味で不意に、一時的に、という意味もあり、謙遜の意味でいやしくも、という使い方もするようです。

ちなみに中国語では、適当に〜する、という意味もあるのだとか笑

それに「まこと」という音は真実の真(まこと)にも通じますよね。

こんな風に文だけでなく、漢字一つとっても(私が知る限りで)こんなにたくさん意味や解釈があって面白いなあと思います。

 

アルファベットやその他の文字にも、ストーリーはあると思いますが、漢字って面白いですよね。今書いていて、漢字についての事も書いてみたいな〜と思いました。笑

なんかほんと自由ですみません笑

 

 

この『大学』は四書五経の一つであり、元は『礼記』という五経から派生した書物なのですが、私からすると正直、儒学ってピラミッド社会生成機(アジア版)という風に感じるので、勉強しつつも共感できない部分も多いんです。

しかしながら、今世界を牛耳る人たちはおそらく多くがこのような書に触れています。

それはなぜかと言うとこういう書物の主題というのは簡単に言うと、いかに上手く人を支配するか、という事が書かれているからです。

もちろん内容的に現代に合わないところ、国風に合わないところなどあるので取捨選択はしていると思いますが、その人たちの思考のストック(引き出し)の一つには恐らくあるんじゃないかなあと。

ということで私はもちろん自分がただ興味があると言う部分はありますが、もう一つの側面として、相手の出方を知る、相手の思考回路を知る為、

いわゆる

『彼を知り己を知れば百戦して殆うからず』(孫子より)

の精神でこういう書物を勉強しています。

 

が、こういうのってなかなか良いこと言ってたり、人を慈しむやら己を修めるやら美辞麗句も多いんですよね。

そう言うのを見るたびに

「すごくいい言葉!こうなったらいいのに!」

と思ってガッカリしています。

そんな言葉を学んで、教育を受けた人が今の支配層なんですから。

 

けれど、あとあとその美辞麗句も裏を返せばそんなに幸せじゃなかったり、逆に良くないと言うことに気がつく事もあります。

だから、納得できる時もあるんですよね。『結局はこの根っこにはこういう精神(支配的)や前提(差別)があるんだな』と。

 

なので世の中、素晴らしいとされる事や言葉や人ほど実際はそうじゃないんだろうなと。

残念ですね〜笑

 

でも皆さん結構、そういうことには気が付かれてるんじゃないでしょうか?

そんなことに気がつかなければ、お花畑で幸せでいられますけど、一度気がつくと芋づる式に気がつくから嫌になるんですよね。

 

最近までは、あ、これもつまりこうだ、あの人もああだ、と嫌になっていたのですが、私は今になって逆にすごく良い気もしていて。

 

偉人や偉業が無くなる事は必ずしも悪いことばかりでは無いと思うんです。 

 

素晴らしさにロールモデルはいらないと思いませんか?

誰か一人を尊敬するより、誰もが自分を尊敬し、大切にできる社会を作る方がよっぽど良いんじゃないかな、と。

 

それに、私の中で偉人は銅像みたいなもので、

当たっている光が大きい人は、その分本当はその後ろにある影も大きくて暗くて、当たる光の少ない人ほど実は人が休める日陰くらいの影なのかもしれないな〜とも感じます。

 

でも、普通にというかある程度で生まれてくると15年間学校に行って、そこでたくさんたくさん刷り込まれるので、間違った慣習だろうが、良い文化だろうが、良い悪人だろうが悪い偉人だろうが一緒くたになってしまって、簡単に心から洗い流すというのは難しいですよね。

 

いっそ、心が物理的に洗えたら良いんですけどね…( ̄▽ ̄) 

少し話は逸れますが、この『苟に日に新たに〜』の銘が刻まれた洗面器を使ったらなんとなくそういう気分になれそうですよね。誰かがもし、作ったら面白いですね笑

商品の説明欄には「殷の湯王と同じ気分になりたい方向け」って書いてあるんでしょうか…笑

 

 

さ、ということで、話がものすごく逸れてしまったのですが、どうだったでしょうか?

他人のユーザーネームの由来とかどうでもいいよ!という方も、勿論沢山いらっしゃるかとは思いますが、笑

少しでも、面白いなと思ってもらえたら嬉しいです(*≧∀≦*)

 

せっかく世の中への違和感を感じられたのですから、心に付いた固定概念やら常識やら間違った歴史はぜーんぶ洗い清めて、苟に日に新たに、日々新たに、又日に新たに、自分からまずは余計な刷り込みを洗い流していきたいものですね。

 

ここまで長々と、取り留めもない文を読んでいただきありがとうございました!

またもしよろしければ、是非遊びに来てくださいね╰(*´︶`*)╯

それでは